言葉の迷宮を制するのは私だ!
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意地でもサイトをやめない宣言。
私は小説家になりたくてしょうがないですが、今のところなれる見込みは全くないです。
驚くほど、絶望的に、夢見がちにもほどがあるってくらいに、なれそうにありません。
が、それでも絶対にサイトの閉鎖はしません。
それだけが言いたかったのですが、若干、もやもやするので思いのたけを補足で書き殴ります。
私は小説家になりたくてしょうがないですが、今のところなれる見込みは全くないです。
驚くほど、絶望的に、夢見がちにもほどがあるってくらいに、なれそうにありません。
が、それでも絶対にサイトの閉鎖はしません。
それだけが言いたかったのですが、若干、もやもやするので思いのたけを補足で書き殴ります。
最近、お気に入りのサイトの閉鎖、移転(URL不明)、が多くて、心底悲しいです。
どうしてこんなに落ち込んでいるのか、誰か代わりに説明してよっって理不尽に詰め寄りたくなるくらいです。
でも自分の心情を他の人に代弁させることほど難しいこともないので、自分で説明します。
私は昔から春が好きじゃなくて、どうしてかというと、「春は出会いの季節」なんてよく言いますが、その直前に進学進級等々に伴う別れが確実にあるからです。
心機一転、とはそれ以前の自分とお別れすることです。そんな季節が苦手です。
子供の頃、好きなアニメやドラマの最終回が本当に嫌で、「なんで終わっちゃうんだろう。どうしてずっとずっと続かないんだろう」って、本気で子供なりに真剣に、不思議でした。
ドラマはともかく、昔のアニメは今みたいに1クールで終わるものはとても少なくて、たいてい1年区切りなんですよ。記憶違いじゃなきゃ、やっぱり新番組は春に始まり、1年めぐってその直前に最終回を迎えるんです。
好きなテレビ番組とのお別れがあんなに嫌だったのに、それでも卒業式で泣いたことがないのは、たぶん会おうと思えば会えるから、です。
実際の友達ならば、メールアドレスも知っていることだし、幼馴染なら住所もわかってるし、「会おうと思えば会える安心感」があります。
実際に会うかどうかはともかくとして、その安心感の有無っていうのはささやかでも、時としてとても心強いんですよ。よりどころなんですよ。
でも好きな番組は二度と、続編はやらないんですよ。再放送はやっても、続きはないんです。
サイトの閉鎖と、それは似ています。
管理人さんの近況を二度と知ることは出来ないんです。
どうしてるかなーと思っても、連絡を取ることも不可能です。極端な言い方をすると、病気にかかっても、励ますことも出来ないし、仮に亡くなってしまっても、その死を悼むことも出来ないんです。
それを悲しいと思うのは私のわがままでしょうか。
サイト運営を止めることにそりゃ罪はないと思います。
人それぞれの都合があります。ネットへの優先順位が生活の中で低くなったとして、誰も責められないと思います。
ですから、サイトを閉鎖した管理人さんに対して文句や非難をぶつけるつもりは毛頭ありません。それは本当に。
けれど、サイトが閉鎖されて、「悲しい」「寂しい」という感情が芽生えてしまうこと事体は、いかんともしがたいのです。
だから、私はサイトの閉鎖をしません。
BBSやブログのコメント、そんなツールを使って、疎遠になってしまった管理人の方々が、気まぐれにコンタクトをとってくれるかもしれないからです。
もし、この「明日もし君が壊れても」を閉鎖してしまったら、そんなわずかばかりの期待も完全に途切れてしまいます。
だから、私はサイトを閉鎖させません。
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